映画「妖怪ウォッチ 空飛ぶクジラとダブル世界の大冒険だニャン!」のみかた

全く期待していなかった妖怪ウォッチ劇場版第三弾が意外と新鮮な驚きに満ちていた。あまりに酷評されているので、味方をする見方を書いておきたい。 掴みはシーツはためく屋上で終わるオープニング。大人はここで物語の全容をつかめる。子供はシーンの意味が分からないが、ケータが丁寧に驚いてくれる。幼児でも「世界が変わる」という基本構造を理解できる作りだ。 アニメと実写の往復は、普通にSFだ。情報量の過多が違う多次元世界があったとして、その映像表現として納得させるだけの作りこみがある。ご都合主義を揶揄するメタ展開はこの系統のアニメでは定番なので古めかしい感じはするが、ダブル世界を描く脚本はうまくまとまっていたように思う。シナリオとして実写は必然なのだ。「今度は実写だ!」の話題作りに留まらない、ストーリーテラーとしての矜持を感じられる。 途中でサービスシーンが入るのは親世代にとっては冗長だが、子供にとっては笑えるポイントだ。ここが大人の鑑賞に堪える映画と相克する部分になる。まあ親は子供の笑顔を見に来ているわけで、そういう場面では親は画面ではなく子供に注意を引かれる。サービスと割り切っている方が好ましい。前作や地上波の特番を見ておくと、より楽しめたのかもしれない。 というようなことを考えながら、90分を過ごした。エンドロールでは後日談が描かれ、涙を誘われもした。実写パートのキャスト表示がぞんざいな扱いだったのはソーシャルメディア対策かもしれない。 ここから少しネタバレする。ラスボスとの闘いで、アニメパートで優勢になり、実写パートで追いつめられる、シーンがある。世界を切り替えるボタンが失われてあわや、というところで、謎のクスリという伏線が息を吹き返してラスボスをやっつける。実写パートもご都合展開になるロジックは、ダブル世界を生んだ張本人の希望なのだろう、という深読みも可能だ。誰かに止めてほしかった、というやつだ。 この構図は、「劇場版イナズマイレブンGO vs ダンボール戦機W」のシナリオ運びと似ている。当時、予備知識無く見て、恥ずかしげもなく号泣した。「脚本:日野晃博」と見て斜に構えていた自分を反省した。妖怪ウォッチ劇場版の脚本家を調べると、日野氏がメインで脚本を書いたのはこのダブル世界が初めてのようだ。壮大な物語を、数々のギミックと一体で観客に魅せる。その本領を発揮した佳作として評価したい。

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