今年は子らが興味を失いつつあり、上映終了に向けてどんどんスクリーンが小さくなる中、ほぼギリギリでの鑑賞となった。だが初期3作に似たチャレンジングな作風で、これは観ておいてよかった、という思いを胸に劇場を後にした。
みんなの物語。そのタイトル通り、群像劇で攻めてきた。舞台は、風力発電をエネルギー源に栄える風の街、フウラシティ。それぞれの物語は本当に小粒で、自分の日常を、ポケモンが側にいる日常を生きているうちに、思いもよらない事件を引き起こす。
ある人物はテロに匹敵するバカげた行為を実行に移してしまう。ただその人物のごく狭い視野からすれば、やるかもな、とかろうじて納得させるだけの伏線は置いてある。日常の積み重ねが非線形に非日常を生み出す。その仕掛けは心地よくはあるが、子供がおいてけぼりになる危うさをはらむ。
子供へのケアは、ポケモンバトルとゲームの設定との連携、そしてややくどい心情説明のセリフでなされる。群像劇だけに、バトルの数は掛け算だ。そしてゲームを知っていると、繰り出す技が「ああ、教えられる技だ」と分かる。ゲームファンを決して裏切らない。セリフはまあ仕方がない。よく動く作画からすれば、あるシーンはギュッと抱きしめるだけの方が万感がこもってよいのに、とも思うが、その人物の造形からすると言葉にする方がむしろ自然なのかもしれない。
とはいえあるシーンでみんなの物語は破綻していたように思う。その点について、ネタバレでつづってみたい。
その破綻とは、先に少し触れたテロ行為、市長の娘ラルゴ(声:芦田愛菜)による聖火の奪取だ。
聖火はルギアが風を送るための道しるべとされる。ラルゴはゼラオラの存在を隠そうとするあまりに、その聖火を聖火台から持ち去ってしまう。フウラシティを混乱させ、ゼラオラへの注目をそらそうとする。その意図は、嘘つきのカガチ(声:大倉孝二)のホラによって生じた誤解によるものだったので、質の悪い冗談で幼女が風を止めてしまう―間接的な発電所テロ―に踏み切ってしまうという、かなり救われない感じであった。
運動会を中止させるために爆弾テロを予告する、という行為と同様の思考でむしろ自然ではあるが、ラルゴの父、市長のオリバー(声:山寺宏一)は悟ったようにラルゴをなだめるだけだ。ここで引っかかってしまった。
そうなると、翼の折れたアスリート、リサ(声:川栄李奈)が聖火を戻しにいく物語も疑問が先立つだけだ。飛行タイプのポケモンを使えば?となってしまう。ポケモン世界は航空機が存在する世界観なため、ブラックアウトしても内燃機関はあるでしょ?と思ってしまう。あの場面で電源の確保は最優先で、人・ポケモン力で旧発電所の風車を回している場合ではない。
ではどうすればよかったのか。
ラルゴはオリバーに激しく叱責されるか、叱責をためらうだけの理由が必要だった。ゼラオラの存在を秘匿していた、という事実の重みが分からない。母親がいない辺り、脚本にはあった要素が削られているのだろうか。
リサがその脚力を生かすには、フラウシティで飛行禁止、内燃機関禁止、などの設定があってもよかった。風が止まると大気汚染が深刻だとか、高度500mを超えるとルギアに撃墜されるとか、そんなの。
本作の上映時間は100分。過去最長の「ポケモンレンジャーと蒼海の王子マナフィ」(105分)に次いで長く、「ミュウと波導の勇者 ルカリオ」(100分)と同率2位だ。ルカリオの翌年がマナフィで、興行収入は43億から34億と大幅に落としている。その次の年は「ディアルガVSパルキアVSダークライ」(90分)で、興行収入は50億2000万円。単に時間で決まるわけではないが、100分を超えることを嫌ったのかもしれない。元より、初期三部作は70分台だ。惜しい脚本は、群像劇を100分に収めた弊害だったのかもしれない。
ゲスト声優を中心に「みんなの物語」を必死に紡いでいただけに、久しぶりに考え込んでしまった。
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