シン・エヴァンゲリオン劇場版? ネタバレ感想&考察

シン・エヴァンゲリオン劇場版?を観た。2021年6月のことなので、そろそろ2カ月が経つ。

そうこうしているうちに、シンエヴァの配信がアマプラことAmazonプライムで見放題のPrime Videoで始まろうとしている。

観た直後に書いた感想は、しばらく寝かせておくうちに思い出となった。再びシンエヴァが広く観られるようになる前に、供養しておく。

総括

スッキリとすべての謎を明かす類の完結では無かったが、これまでエヴァに翻弄されてきた兵どもにとってはかなり分かりやすい作品だったのではないだろうか。出てきた映像、音声をそのまま咀嚼すればいい類のSFだった。作品内において矛盾は無い。当然、分からないことはある。

ここから先はネタバレだ。ネタバレ回避のあらすじは以下。

と思ったら公式サイトにあらすじらしきものは無かった。あらましかな?

エヴァがついに完結する。
2007年から『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズとして再起動し、『:序』『:破』『:Q』の3作を公開してきた。その最新作、第4部『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の劇場公開が決定。
人の本質とは何か? 人は何のために生きるのか? エヴァのテーマは、いつの時代にも通じる普遍的な核を持っている。
シンジ、レイ、アスカ、マリ、個性にあふれたキャラクターたちが、人造人間エヴァンゲリオンに搭乗し、それぞれの生き方を模索する。
人と世界の再生を視野に入れた壮大な世界観と細部まで作り込まれた緻密な設定、デジタル技術を駆使した最新映像が次々と登場し、美しいデザインと色彩、情感あふれる表現が心に刺さる。
スピーディーで濃密、一度観たら病みつきになるその語り口は、興行収入80億円超えの大作『シン・ゴジラ』も記憶に新しい庵野秀明総監督による独特の境地。
その庵野総監督がアニメーションのフィールドで創作の原点に立ち返り、新たな構想と心境によって2012年の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』以後、封印されてきた物語の続きを語る。

1995年にTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』でアニメファンのみならず、アーティストや学者までを巻き込んで社会現象を起こした初出から、実に25年――その間、常にエポックメイキングであり続けたエヴァの、新たな姿を見届けよう。

そうね。ヒトにフォーカスを当てているのがシンエヴァの特徴だったね。

繰り返す渚

失われた14年は描かれないまま、Qとシンエヴァで物語は終わる。破の後で、碇司令と冬月はネルフを追われ、渚カヲルと加持リョウジがその立場にあったようだ。

カヲルは新劇でループの担い手であることが明らかだった。生命の書に名を連ねる、繰り返しの紡ぎ手だ。人類補完計画を導いていく使徒である。正確には、エヴァの世界はループしているのではなく、螺旋を描いている。その到達点がシン・エヴァだ。

螺旋なので、毎回展開は違う。シンエヴァでは、マリとアスカはともに使徒だった。明確な描写が無いのでマリについては使徒もどきかもしれない。

今回の螺旋のキーパーソンであるマリは、冬月先生から「イスカリオテのマリア」と呼ばれていた。マリはその呼び名を聞いて「懐かしい」と言ったのだから、冬月先生の研究室時代から裏切り者の使徒として動いていたわけだ。

となると、旧劇ではシンジと接点が生まれなかった何らかの理由があることになる。イギリスからの留学生ということで、ユーロネルフでの仕事が毎回変わるのだろう。

いくつもの棺とそこから起き上がる渚カヲルから自明だったように、シンエヴァの世界は並行世界ではなかった。カヲルに対してシンジは「次はカヲル君の番だ」と言っている。これは生命の書を書き換え、または破棄して新世紀を作り出す決意だろう。

カヲル君を生命の書から解き放ち、さようなら、すべてのエヴァンゲリオン、ということで、エヴァの無い世界として再構成した。シンジがなぜそのようなことができたのか、というと、マイナス宇宙、すなわちブラックホールでいう特異点に至ったため、螺旋のすべてを理解したと考えるしかない。インターステラーかよ。

ちなみにエヴァンゲリオンイマジナリーとは、要は脳が世界を作るという(最近ならイーガン)SFでおなじみのギミックだ。

さすがに新劇から見始めた層にとっては難解だったかもしれない。「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」、通称「旧劇」を見ていると、あの場面のリフレインだ、というのが分かる。似たような展開にはなるものの、条件が揃ったことでシンエヴァの結末へと至ったのだ。

二人のアスカ

Air/まごころを、君に、では惣流・アスカ・ラングレーはシンジによって再生され、中途半端に排除される。

シンエヴァでは、式波アスカラングレーとしてシンジによって再生され、次の生を受ける。

惣流から式波へ。これはエヴァにおいて空母名を持つキャラクターの性格付けからすれば自明だ。式波シリーズは母の資格を成長によって失っている。「ガキに必要なのは母親」と評するシーンはよかった。母親たるミサトはシンジをマイナス宇宙へと誘った。物心両面で。

では、オリジナルは惣流なのか。これは違うと感じている。式波シリーズが実験淘汰を経て絞り込まれていくとき、最終的に映像として残った式波シリーズは二人いた。わざわざ二人にするには理由があるはずだ。

螺旋の中で、毎回アスカは二人いた。クローンではなく、オリジナルとみる。旧劇では惣流になり、シンエヴァでは式波になった。つまりオリジナルは二人いて、エヴァパイロットになるのは一人。そう考えるとスッキリする。

というのも、ラストシーンの宇部新町の駅で、アスカらしき人物がホームにいる。これはおそらく第三村でケンケンの元へ向かい再生したであろう式波ではないはずだ。これを惣流だとすると丸く収まる。

と、思ったのだが、破の式波を前提にするとどうだろうか。ダミープラグによって使徒として処理された。おそらく、一度は活動を停止、すなわち死亡しているだろう。この使徒として死亡したアスカを、式波シリーズを使って再生したのがシンエヴァの式波ではないだろうか。戦闘体験を含めた複製が困難らしいのは、クローンである式波が戦闘訓練をするシーンからも自明だ。

なのでオリジナル、はやはり惣流なのか。ならば「惣流シリーズ」でよい気もするが、惣流は空母、式波は駆逐艦=量産機なので、クローンはやはり式波なのだ。螺旋の中で運命が変わるのは珍しいことではない。

綾波シリーズは、碇ユイこと綾波ユイから取られた名称だ。以来、クローンは綾波に通じる旧日本海軍(IGN)駆逐艦名を付ける、という背景があってもよい。ユーロネルフがAYANAMIだからSHIKINAMIでいいだろうHAHAHA、というノリでもいいけど。

歩み寄るゲンドウ

ラストの下りでユイが姿を現したシーンは軽く感情のざわめきを感じた。ゲンドウと並んだカットは大団円にふさわしい。最初から父と子で向き合えばよかったのだ。

こうして書くと、シンエヴァはとてもシンプルだ。シンプルな解決策は時に一番難しい選択肢となる、と受け取った。

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