「天気の子」ネタバレ感想 すべてが氷解する仕掛けを考察

新海誠監督の「天気の子」。やれゼロ年代だやれ原作エロゲはどこだなどというひどいネタバレ圧に耐えられなくなったので観てきた。描きたいものを磨き上げて書く。余計な回り道はご都合主義でねじ伏せる。完全に調和の取れた熊の木彫りのような作品だった。

細部に宿る神々

公式サイトのあらすじはこうだ。

天気の子 公式サイト

新作『天気の子』は、天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄される少年と少女が自らの生き方を「選択」するストーリー。
東京にやってきた家出少年・帆高が出会った、不思議な力を持つ少女・陽菜。ふたりの恋の物語は、美しく、切なく、新たな時代を迎えるあらゆる世代、そして全世界へのメッセージとして描かれる。

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この「選択」に説得力を与えんがために、舞台は動く。

主人公の森嶋帆高(もりしま ほだか、声:醍醐虎汰朗 )はヒロインの天野陽菜(あまの ひな、声:森七菜)に憧れを、庇護欲を抱く。脇役陣もそれを応援させられる。応援している、と書くのは語弊がある描き方かもしれない。人物像はテンプレと言い切れる。使役させられている感がある。

だがテンプレと切って捨てるのは早計だ。編集プロダクション社長の須賀圭介(声:小栗旬)にアシスタントの夏美(声:本田翼)、老刑事の安井(声:平泉成)、帆高と陽菜が関わる老婦人冨美(声:倍賞千恵子)といった曲者が血を通わせる。テンプレート、つまり「型」の駆使は細部に神を宿らせる手法の一つでもある。

役割がはっきりした人物と舞台そのものが物語をドライブしていく。この構図は新海作品「雲のむこう、約束の場所」(2004年公開)に近い。同作は分断国家の日本を舞台に、主人公が親友と共に敵国の兵器を巡って奮闘し、争い、最後にヒロインを選んで終わる。

「君の名は。」は「秒速5センチメートル」のフラストレーションを解消してくれた、とよく言われる。天気の子は、雲の向こう、約束の場所でモヤモヤしていた部分を晴らしてくれる。

牽引役はRADの音楽ではない?

絵が主人公とヒロインを引っ張っていくので、「君の名は。」に比べるとRADWIMPSの存在感は少ない。雨や雲のSEより少ない。視界いっぱいに空が広がる、前列に近い方で観たからかもしれない。

上映時間1時間54分は台風のように過ぎ去る。ひたすら陽菜を蠱惑的に描き続ける監督の思考をトレースしているといつの間にか終わっている。

新海監督の愛と悪意(以降ネタバレあり)

さて、そろそろネタバレといこう。

冒頭に陽菜が100%の晴れ女になる経緯を描いた後に、帆高が家出をして東京に根付く様を見せつけてくる。陽菜がバイトしているマックで夜を明かす帆高。その帆高にビッグマックをこっそりと奢る陽菜。はい。世界の選択です。

帆高は陽菜が付いていこうとしていたスカウトに絡まれ、おもちゃだと思って拾った拳銃をぶっ放す。
そう、本物の拳銃をぶっ放す。ここで後ろに倒れそうになる。
このくだり、いる?って。

しかもいきなり拳銃をぶっ放す帆高に呆れた陽菜はキモいと言い放ち一度立ち去るも、戻ってきて家に招いてくれる。しかもご飯を作ってくれる。さらに 帆高が差し入れたポテチとチキンラーメンを上手くアレンジして。聖母かよ。もう世界の選択でしかない。

好意と悪意

帆高は家出少年だ。陽菜は母親が他界して弟と二人で暮らしている。家出と未成年だけの世帯で2翻、発砲でドンドンで4翻付くので跳ねる。よって中盤からは警察に追われる身だ。

警察の行為は保護に当たるものだが、一行は当たり前のように逃げ出す。
発砲するくらいなのだから、まあ向こう見ずなのね。と謎の説得力。
発砲シーンは常識人を黙らせる保険みたいなものだ。

が尽きた終盤、陽菜は天とつながるがゆえに、天に召されて姿を消す。
天気を晴れにする祈りを捧げることで、身体が水のように変わっていった。
だが祈祷が人に喜ばれる中、収入を得て自立する中で自分の居場所を見つけてしまった陽菜は祈ることを止めない。

すべてが伏線

冒頭でなぜバニラトラックを出したのか。東京の繁華街を象徴する小道具というだけなのか。陽菜は弟を支えられるだけの高収入を得るために水商売に手を出そうとし、それを帆高に邪魔された。ところが帆高は陽菜に対して天気の子という水商売を斡旋するのだ。

真っ当な映画はすべてのシーンに意味がある。

これは脚本の悪意なのか?とも思うが、天気の子は何も否定しない。水商売は誰かが生きていくための職業の一つとして観客に提示されるだけだ。前のめりに破滅に向かう。止まるんじゃねぇぞ…

帆高は16歳。陽菜は作中で18歳になる。陽菜については最後に「実は15歳だった」という仕掛けで主客を転倒させる試みがなされるが、基本的に帆高は事情を知らないアホの子として物語をかき回す。

陽菜が天気の子になる際の依代となった社に、警察の追っ手を振り切ってたどり着く帆高。
二人は発達しきった積乱雲の頂点で再会し、天を裏切って外界に降りる。社で気を失っている陽菜と帆高。それを囲む警察。彼らはどう自分を納得させたのだろうか。

その代償は降り止まぬ雨。かつて海面下だった東京は再び沈む。

あのルートを選ぶ強さ

それが選択。何ら後悔の無い選択。だって好きだから。

それから数年、帆高は陽菜が祈りを捧げているところに出くわす形で再会する。
陽菜は何を祈っていたのか。
巫女の役割は失われたのか。
あの鳥居を祈りをもってくぐったら、帆高もまた御子になるのか。

陽菜以前は誰が巫女をしていたのか。
あの社には供え物があった。
誰かが何かを封じていたのか。

整合性は無い。

すべてをつなげるには、もうアレしかない

二人だけの幻想、というには弟や実際の事象がそれを許さない。
すべてを丸く収めるには、天気の子という物語は

冒頭の病室で昏睡状態にある陽菜の母が見ていた夢

というところにまで還元するしかない。
なんだよ。あゆかよ。

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