アイドルマスター シンデレラガールズ25話感想−始まりの最終回

アイドルマスター シンデレラガールズが25話・最終回を迎えました。物語としては、24話で終わってた。25話は、輝き始めた者達を同じモチーフで何度も照らす、さもすれば冗長なエピローグだった。ただ始まりを示す最終回として見れば、良い最終回だった。圧倒的な物量で多くのPに応える、ファンサービスとしての最終回((クールPの自分はキュートPになりたくなり、パッションPに決めて最後にクールPで良かった的なオールレンジ攻撃にやられた))。

25話にクライマックスを持ってくるのであれば、常務もとい専務は24話のラストで「フッ」なんて表情は見せずに、25話で和解させるはず。だから24話で「あ、全員救われた」と心を揺さぶられ、4年ぶりだかにブログを再開し、あまつさえドメイン取ってMTからWordPressに移行した。

25話の中で山を求めるなら、中盤のライブシーンだろう。セルのダンスは自然なタメのある動きで、嬉しくてたまらないシンデレラガールズの心情を余すところなく描いていた((途中でいきなり棒立ちになるのは円盤で修正すればいいんじゃないかな。))。センター卯月もキマっていた。24話で飛び抜けた存在になっているので、センターに居ても違和感がない。凛は卯月の笑顔に可能性を感じたのだし、未央は卯月によってパッション属性を確たるものとした。

堂々のセンターである

このセンター卯月を見た後なら、24話の制服ステージも、芯の強さの現れとして戸惑いではなく驚きで迎えられたのかもしれない。それまでにも芯の強さは描かれたいたが、23話で炉心を露わにしすぎた。分かりやすくするなら、壊れやすい存在であることを徹底して描く時代性は必要なかった。だがどん底を時間的にもたっぷり見せたことで、24話のラストは高みに到達できたし、そのご褒美としての25話は安心して見ていられる構成になった。

25話にクライマックスを求める向きには物足りないかもしれない。自分もその手合いだ。ただ、卯月と凛(とちゃんみお)を軸に、血の通った女の子がアイドルを目指し、演じ、そして笑いながら歩みを進める様を描くシナリオの根幹からすれば、あの最終回は狙い通りの着地点だ。最終回は笑顔にあふれ、また一人ひとりにカメラを向ける、優しい描き方になるしかない。

練られた脚本に祝福を。

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