終戦のローレライ

 映画のトホホっぷりにもどかしく再読した。映画ローレライで激しく学芸会状態だった軍令部パートを思い出すのが目的。そこだけ読むつもりが結局終章まで止まらず,号泣する始末だ。原作の方が泣ける。イメージを頭に叩き込む術を知っている人は強い。

以下ネタバレにつき注意されたい。

 で,結局のところ軍令部パートはまったくの書き起こしだった。原作では浅倉は東京にはいないし,訳の分からない特使もいない。原爆が東京に落とされようとする過程もそれなりに理解できる筋立てになっている。お約束のユダヤ陰謀論なので嫌うむきもあろうが,改めて今読むと腑に落ちる。それは…あり得た選択肢だ。

 東京への原爆投下。その理由の説明を映画でやるには少し話が重すぎる。そもそも目標が東京であることをいぶかる人は映画館の中ではマイナーなのかもしれない。投下目標が広島,小倉,新潟,および長崎であったことを知らなければ,東京に落としてトドメを刺そうという行動は非常に分かりやすい。DQ4でデスピサロが生き残らないのと同じだ。リメイクで変わったけど。

 ただ映画のローレライ,特使の暗殺で「遅かったか!」は大根に過ぎる。猛烈にいらない。未だに意図が不明だ。原作では浅倉の根拠地テニアンに残る陰謀の証拠が米軍によって焼き尽くされた後に「遅かったか!」なのだが。「遅かったか!」って言わせたかっただけか。

 伊507の最後と,離脱するナーバル。子守歌は死への手向けという映画版は,それはそれでよくできている。ただ原作の持つ歌の力はそこにはない。ローレライの証拠をマリアナ海溝の奥底に沈めるべく米軍からの集中攻撃を受けつつ疾走する伊507の中,乗組員が歌う「椰子の実」。それを感知するパウラ。「もういいよ…」と制止する征人に対して,パウラが言った言葉。

 映画の終わりを小説の終章で済ませる訳にはいかないだろう。終章はパウラの現実的な想いがありのままに描かれている。あれば女の本音だ。劇場では聞きたくない,見たくない光景だ。でもそれを含めて,終戦のローレライは初めて完成した物語になる。映画が不完全と言っているのではない。別のベクトルで物語が組まれているだけだ。むしろ別々の作品が出来上がった方が良い。

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